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プノンペンで見た境界線

森本君から紹介を受けた、

首都圏本部、ゴット兄さん担当ことKです。。

 

 
内戦の傷跡が、街中に残る1995年の夏、僕はカンボジアのプノンペンに居た。

タイのバンコクで、ビザを待つだけで一週間かかり、うだるような暑さと、
ただただビザの発行を待つだけの日々にうんざりしながら
ようやくたどり着いたプノンペンだった。

プノンペンでは、一国の首都にも関わらず、
車道には、大きな穴が開いていたり、
街中にライフルやマリファナなどの気配がし、きな臭い雰囲気が漂っていた。
ただ治安が悪いという表現ではなく、純粋に危険な感じがした。

僕はプノンペンでは外国人が多く泊まるホテルに宿泊していた。
ホテルといっても、日本でよく見かける雑居ビルのような体裁で
一泊3ドル程度の格安ホテルだ。
ホテルの目の前では、地元では3ドルもするホテルに泊まる旅行客目当てに、
タバコや、ジュースを販売するために色々な物売りがいた。
南国ならではの、絞りたてのパイナップルジュースは最高においしい。

毎日ジュースを飲みながら、街を見渡すと、
プノンペンには、騒々しさがあり、他の東南アジア独特の喧騒があった。
褐色の肌をした熱帯雨林独特の顔立ちをした人種のようで、
他のアジア圏の民族はあまり見当たらなかった。
内戦が終わり、積極的な街は再建されていっているようだった。
さまざまな資材を運ぶトラック、豊富な農作物を販売している市場、
客を乗せて走り回るタクシー。経済という活気を纏いながらも、
そのベールの中には深い悲しみが垣間見える。
ボロを着た子供が一人で路地裏に座り込み、
動物の屍が通りに鎮座する。
どこかすさんだ空気が、活気に押され、路地裏に流れ込む。


プノンペンからアンコールワットのあるシェムリアップという街に行くことを
僕は当初から計画を立てていた。
シェムリアップまでは、大きな湖を船で行くことが一番安全だという。
地雷やゲリラなどがまだ身を潜めており、陸路は危険らしい。
軍用ヘリで、シェムリアップに向かう手もある。
僕は宿で知り合った旅行者と、どのように行けばいいのかを話し合うために、
唯一の日本料理店に行った。

日本を出てから、早1ヶ月。
メニューに載っている「カツドン」や「オヤコドン」の文字に懐かしさを感じる。

迷った挙句、「ショウガヤキ」の懐かしい味に軽い感動を覚えながら、
「軍用ヘリには乗ってみたい」などと話していると、
暗闇からスケートボードに上半身を乗せた男がガラガラと
音を立てながら近づいてきた。

僕は何かのパフォーマンスだと思い、
振り返って、また「軍用ヘリは・・」と言いかけ、
近づいてきた彼の下半身が無いことに気付いた。
彼の下半身は、板に車輪をつけたモノだった。
彼は手で漕ぐように進みながら、こちらを見ている。
頬がこけ、暗闇に光る鋭い目をしながら、金をせがんでくる。

アスファルトに空いた、大きな穴。軍人が下げた大きなライフル。
そして地雷。
カンボジアに来てから、目と、耳にしたものを思い出した。
彼の目からあらゆるストーリーが語られた。

僕はどうすることもなく、持っていたマルボロの箱をそのまま彼に手渡した。
あまりにも場違いな「ショウガヤキ」は、もう食べる気なんて無かった。

僕と彼の違いについて考えた。生まれた国が違う。
国が戦争をしていたかどうかが違う。

歳はそんなに違わない。何が僕と彼の世界を分けていたのだろう。
母親がいて、父親がいて、生まれただけだ。
国が違えば、これだけの違いになるのだろうか。
僕には彼の痛みも苦しみもわからないし、彼も僕のことを何も知らない。
彼のことを考えるだけで、僕は罪悪感にさいなまれた。
「罪悪感」という言葉を使用するだけで、
僕は「豊かな国」の人間なのだろう。

誰も同じようで、全く違う。
彼と僕を分ける境界線があることだけは事実なようで、
僕も彼も、そんなことはどうでもいいはずで、
ただ、彼は生き抜こうとしている。

そう思えば元気になれた気がした。


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これ、mixiで読みましたw