IBクルーブログ 日々奮闘するIBクルーの日常をご紹介!

モヘンジョダロの憂鬱

首都圏本部のKです。
いつもご愛顧いただいております。
ここで小生が体験した小話を一つご覧ください。

----------------------------------------------------------------------------
何も起きることなく、ミレニアムを越した、2000年の春、僕はパキスタンにいた。

ネパールのカトマンズから、インドを経由。
バスと列車を乗り継ぎ日本を飛び立ってから、2ヶ月近くをかけ、たどり着いた。
パキスタンとインドの国境の街、ラホールから約12時間、砂漠の中を突き走る列車に乗れば、
世界史の教科書にも書いてあるモヘンジョダロの遺跡に到着する。
世界四大文明のひとつに数えられるインダス文明の発見された街だ。

パキスタンには観光地などがあまりないと事前に聞いていたため、
そのままイランへ行く予定だったが、あえて南に下り観光地へ足を伸ばしてみた。

モヘンジョダロ駅には明け方到着した。
誰も居ない。
殺風景な景色だ。人気もない。
一日に何本もある電車ではないはずだ。
今までの経験からするとまず間違いなく観光地への入口は、時間に関係なく、
到着した交通機関に合わせて、ガイドの勧誘や、タクシーなどが列を作って、
いかにも観光地といった光景なのだが、ここはえらく寂しい。

駅員すらいる様子もない。
まだ辺りも暗いため、僕はベンチすらないホームに座り込み、タバコに火をつけた。
感じたことのない違和感を振り払うかのように、煙を吐き出す。
明るくなるにつれて、砂漠地方独特の砂煙が朝日とともに上がった。
近くのホテルに入り、モヘンジョダロ遺跡の行き方を教えてもらった。
「それならバスがでてるよ」
白い民族衣装に身を纏った老人が親切に教えてくれた。
老人が教えてくれたバスストップに行くと、朝のラッシュアワーらしく、人ごみがすごかった。
到着したヤクザ映画顔負けのド派手装飾のされたバスには、人が溢れんばかり乗っている。
そこに負けじと乗り込む。

20分ほど、バスに揺られるとT字路に着いた。
民家も畑も、なにもない。
僕と同じように手すりにつかまっていた学生らしき奴は、
「モヘンジョダロはここで降りろ」と言い、運転手に止まるように叫んだ。
僕は、誰も下りようとしない停留所らしき小屋の前で降ろされ、
猛スピードで去っていくバスを見送った。

そこから歩いて30分。
モヘンジョダロ遺跡には、その入口からは過去の威厳らしきものは
何も感じることができなかった。
外国人の入場者は、入口で名前をノートに記すことが規則のようだ。
俺は係員に手渡された鉛筆で、ノートに名前を記した。
しかしよく見ると、3日前に外国人は3名訪れただけのようだった。

モヘンジョダロ遺跡は、予想はしていた通り、というより、
想像しないようにしていた通りの寂しさだった。
過去の栄光は全て切り取られたかのように、瓦礫の山となっていた。
もちろん専門家が見れば発見も多いのだろうが、
一観光客としては、見るべきものは無かった。
突き刺さるような日差しが、全てのものに反射して人間の逃げ場をなくしているようだ。
目の前に広がる瓦礫のように、多大な期待と労力と時間と後悔が、僕を覆う。
日差しを避けることなく、僕はタバコに火をつけた。
徒労感を追い払うように、次の目的地への地図を広げた。

期待すれば、裏切られる。期待はしなくても、思いがけない感動がある。
時間をかけても全ては無駄にもなれば、時間をかけなくても得られるものはある。
労力をつぎ込んでも、報われない奴もしるし、何もしなくても儲かる奴もいる。

僕が地図を広げていると、3人の女子高生が俺に近づいてきて、
東洋人が来るのは珍しかったのか、写真を一緒に取ってくれとせがんだ。

労せずして、女にもてたのは、モヘンジョダロの奇跡だ。

| カテゴリ : 営業 K.K |  |

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: モヘンジョダロの憂鬱

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.interbrains.com/cmt/mt-tb.cgi/125